理事長 式辞


 須磨学園高等学校、共学7期生385名の皆さん、 ご卒業、おめでとうございます。 今年の冬は例年よりも寒さの厳しい冬でしたが、ようやく校庭の紅梅の蕾も膨らみ、春の訪れはそこまできています。

 保護者の皆様、ご子息ご息女のご卒業を心よりお祝い申し上げます。 三年前にこの学校の門をくぐり、坂道をあがっていらっしゃった時は、まだあどけなさの残る15歳でしたが、今、子どもさんたちは、心身ともに成長され、それぞれの新しい世界にでていらっしゃいます。この三年間の私どもの学校教育へのご理解とご支援を感謝申し上げます。

 ご来賓ならびにご列席の皆様方、卒業生たちの門出をともに祝っていただけますことに、厚く御礼を申し上げます。

 さて、卒業生のみなさん、
振り返ると、この三年間は決して楽しいことだけではなかったと思います。
苦しいこと、悲しいこと、うれしいこともつらいこともそれぞれにあったと思います。そして、今日から、みなさんは、校則からも先生の指示からも、この坂道を登ることからも解放され、それぞれの道をいらっしゃいます。

 これからは、みなさんは、自分自身の頭で考え判断し進んでいらっしゃることになります。
まだ、進路が決まっていない方も多くいらっしゃいますが、最後まであきらめないで、もてる力を出し切られることを願っています。

 もし、みなさんの努力が報われない結果としてでてきたとしても、決して絶望しないでください。みなさんが積み重ねていらしゃったものは、失われるものではありません。みなさんがあきらめない限り、みなさんの将来の可能性は広がっています。
学力試験で計ることができるのは、みなさんのその時点での学力であり、皆さんの未来の可能性や人間性まではかるものではありません。

 これから先の人生で、皆さんは困難に出会うことがあると思います。
困難に出会った時、それまでの人生で挫折や失敗をしてこなかった人ほど、落ち込みは激しい、と言われています。逆境においてこそその人の真価がとわれるといわれています。

 しかし、私はあえて、そういう時にこそ自分を大切にしていただきたい、と申し上げたい。どうか、一人で頑張り過ぎないでください。もうこれ以上、頑張らなくていい。我慢しなくてもいい場合があります。

 自分を大切にできない人が、自分以外の人間を大切にできるでしょうか。皆さんを慈しみ、大切に育てていらっしゃった保護者の皆様や、皆さんの指導に全身全霊を込めてあたってこられた先生たちを悲しませるような行動をとらないでいただきたい。自分を傷つけることをしないでいただきたい。このことを、お願いしておきます。

 皆さんをとりまく大人の社会は、理不尽なことが横行しています。

 うまくやる人が、カッコイイと考えておられる人も少なからずいらっしゃいます。
世間をうまくわたっていくこと。
お金をたくさん手に入れること。
人が羨むような生活をすること。

 それらのことは、もしかするとみなさんの人生のある時期において、価値をもち意味のあることになるかもしれません。しかし、私はそれらのことが皆さんの生きる目的になって欲しくはありません。
 世間のつくった価値観やマスメディアが煽っている価値観に流されないで、生きていってください。

 「何のために生きるのか」という問いには、一つの正解があるのではなく、一人ひとり違うと思います。私は信仰をもっていませんので、いつも答のでない問いとともに悩み、失敗を重ねながら人との関係の中で生きています。

 でも、悩むこと、考えることを放棄することはしないでおきたい。人との関わりを放棄しないでおきたい、と考えます。

 みなさんが、この矛盾と葛藤が渦巻くこの社会の中で、「清く、正しく、たくましく」よりよい人生を生きていらっしゃることを祈念し、私の話を終わらせていただきます。



2008年3月1日 理事長 西泰子